千曲万来余話その317「バッハ、ロ短調ミサ聴き比べ、クレンペラー、ヨッフム、そして・・・」

ヨハン・セヴァスティアン・バッハ1685.3/21アイゼナハ生~1750.7/28ライプツィッヒ没 バッハ作品番号BWV232、ロ短調ミサ曲は通常ラテン語典礼文による音楽で、プロテスタントとしてのバッハにとっては、特別な意味をもつ。終曲は前半曲の繰り返しであって、未完の大曲であったろうことが知られる。ライプツィッヒ時代1733年には、キリエ、グローリアが献呈されている。
四大宗教曲、ミサ曲ロ短調BWV232、マタイ受難曲BWV244、クリスマスオラトリオBWV248、 復活祭オラトリオBWV249として有名。
日本では、1961年DG録音、カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団によるものが、正統的演奏レコードとして称賛されている。
1967年EMI録音、オットー・クレンペラー指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団による、
1970年DECCA録音、カール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットゥガルト室内管弦楽団そして、
1980年EMI録音、オイゲン・ヨッフム指揮、バイエルン放送交響楽団のものを聴き比べた。
オーディオのシステム性能向上を目指して、フェイズ(位相)を確定、フィックス(定位)を明確化することに努力を払う。そうすることによって、弦楽合奏から合唱部分へと注意を向けることによって一層の区別化が面白くなった。
クレンペラー指揮のものは、演奏風景写真によるまでもなく、指揮者左手側からソプラノ、アルト、テノール、バスというふうに、演奏は展開している。クレード信仰宣言の部分では、合唱で、テノールが始めに歌いだすので、バスとの対比が興味を引く。ミュンヒンガーの演奏に注意すると、バスはテノールの左側から歌いだすのが印象的だ。すなわちバスの前にソプラノ、そしてアルトが右側に配置されていることがわかる。これは、何を意味するのか?というと、指揮者の左手側に、ハーモニー和音の外側、外声部でバスとソプラノ、そして右側は内声部のアルトとテノールになり、それは、ハーモニーの働きの上で調性、すなわち長調か短調かを決定する部分に当たる。
ヨッフム指揮するLPレコードを再生すると、テノールは、左スピーカーから聞こえてくる。前列は女声である。これは、何を意味しているかというと、クレンペラーは単層構造になっていて、ミュンヒンガーやヨッフムは、合唱部を重層表現しているといえるのであろう。
弦楽合奏では、クレンペラーが第一と第二ヴァイオリンを左右に展開していて面白いこと決定的である。
盤友人が、ヴァイオリンの左右スピーカーから聞こえる指摘をすることに対しては、賛否両論、面白いと感じるか、しつこいと感じるか?サイトアセスされている方の、判断にお任せするほかはない。ただ、そのように聞こえた体験の上で、判断されるのが賢明というものであろう。
クレンペラーのレコードは、万全ではあらず、ミュンヒンガーの躍動感に満ちたバッハも、それはそれで、最高の音楽体験であってもヴァイオリン両翼配置の上でポリフォニー音楽を愉しみたいところである。多くの皆さんが、ますます、左右スピーカーのチャンネルセパレイション分離性に注意を払っていかれることを、切に希望するこのごろ・・・春また近し。