千曲万来余話その303「エルガー編曲、バッハ幻想曲とフーガ、ハ短調をボールト指揮で・・・」

新年明けまして、という挨拶をすると、まだ未経験の・・・的な、表現の重なりが指摘できる。
何故まずいのか?
馬から落ちて落馬して、と言い直されて、はじめて気付くことになる。新年というとすでに、明けたことを指しているからである。
一生懸命に説明する、というのもまずい表現ではあるまいか?この言い回しは、かなり古くから広まっていて、三百年ほど前からとも云われている。そのいわれは、一所、懸命であるにも関わらず、それが一生という表現に転化しているのだ。よく考えると、命ある限り命を懸けるというものなのだから、気持ちは分かるが表現としていかがなものかということだ。
情報媒体、テレビのテロップでは、かなり通用している現実で、だからこそ気を付けたいものである。世の中で、ウッ?というものが、よく見えてくるから、注意こそ必要である。
エドワード・エルガー1857.6/2ウスター出身~1934.2/23同地没、英国出身の偉大な作曲家。 1921年にフーガ、1922年に幻想曲、バッハのオルガン曲で管弦楽に編曲を残している。
管弦楽というけれど、弦楽器、管楽器の他に、打楽器の華麗な合奏が、オーケストラ音楽として愉しめる趣向である。編曲というのは、主としてオーケストレイション、管弦楽法の発揮であり、メロディーラインは、ヨハン・セバスチアン・バッハのオルガン曲、ワイマール時代、バッハ作品番号でいうと、BWV537とも考えられるが、レコードジャケットの解説ではそこのところ、不明であるというか、盤友人、確認してはいない。
エードリアン・ボールト、1889.4/8チェスター出身~1983.2/23ファーナム没アルトゥール・ニキッシュに指揮法を師事している英国の大物指揮者。 「彼の録音には、ステレオ録音、ロンドン・フィルハーモニックとのコンビネーションでは、第二ヴァイオリンは右のスピーカーから聞こえるのが多い。この事情によるものなのだからだろうか?ステレオレコードで日本に紹介されたLPは、意外に少ない。過小評価されている指揮者ではある。
エルガー作品の録音で、その芸術性を遺憾なく発揮している。
かの幻想曲とフーガ、ハ短調は華麗で、荘厳、バッハの気高い音楽を管弦楽で愉しめる。
ボールトのレコード、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ヴォーン・ウィリアムス゛、そして、エルガーなどなど、交響曲作品は、大変立派な録音揃いで、その音楽は、聴く人を幸せに導く福音である。新年にふさわしい音楽といえるだろう。