千曲万来余話その300「見上げてごらん!星を、そしてその音楽世界を・・・」

西暦2016年、平成28年、昭和91年、大正105年、明治149年は、過ぎ去ろうとしている。その年末に今年を振り返る。夜空には、オリオン座、そして冬の大三角形が輝いている。
何よりも、オーディオに取り組むことができた仕合わせを想う。今日もベートーヴェンの音楽を聴くことができたというのは、当たり前のことではなく、その仕合わせを、つくづく噛みしめる。
永六輔氏、その彼の言葉によると、人は二度死ぬ、一回目は生命の終わり、二回目は人々の記憶から消え去ったときにだという。その心は、記憶されているときには、生きているということ。
その言で云うと、心の中に、ベートーヴェンは生きているし、オーディオとは、生命再生の儀式ではないだろうか?芸術とは再生の儀式であり、不滅の営みである。我思うゆえに我有り、音楽は時間の芸術であり、繰り返すという転成の営みではないだろうか? 「思うことは有ること、感性とは、感覚を信じることであり、理屈を越えるとは感覚の認識である。
自覚するとは、錯覚との問答であって、空気を意識化する感覚である。錯覚の克服は永遠の課題すなわち、紙一重の世界で、前提条件の自覚を忘れない態度である。だから、生命の営みの裏側ということではないだろうか。
現実と想念の距離は、近ければ近い程良い。同じ地平で、その一致を求める態度こそ、保つべき姿勢だろう。運命501小節の実現は、盤友人にとって克服された課題であって昭和50年1月以来の諸井三郎筆になる指摘であって、我田引水であらず、雨だれ石をうがつがごとく、雨水の一滴であるから、末永いお付き合いを、願うばかり。ベートーヴェンはだから、不滅、の・・・・・ 「良い音とは何か?永遠の問いかけで、現実をつつむ空気のごとく、不即不離の課題。
今年のワンステップは、倍音の充実、デシベル、音圧SN比の向上にある。信号とノイズ、比率の適正化を図り、その実体験を果たした。これは、千曲万来余話188から出発した今年の歩みを、一歩進めた地平であり、オーディオの成果、音量を抑えて音圧の実際をステップアップすることであった。さらに一段階、定位フェイズ感覚の向上も実現した。
LPレコードで、ステレオ録音、Vn両翼配置弦楽四重奏のものに出会う、それは来年の課題。
今年の一歩を、来たる酉年一層の飛躍につなげ、このサイトアクセス皆様に感謝し、来年の幸運を祈念します!鶴亀鶴亀・・・つづく