千曲万来余話その297「チャイコフスキー、弦楽セレナードのネヴィル・マリナー68年録音盤」

ある米国人男性70歳が居たとする。彼は昔からメリークリスマス!と言い慣れていて、現在のハッピークリスマス!という空気に、馴染めていないようである。米国ファーストを主張する根拠として古き良きアメリカの復活を唱える。なぜ、メリー愉快にという言い方が、ハッピー好運をという言い方に変化しているのか?確かに、ジョンとヨーコは、ハッピー・・とレコーディングしている。
時代は、多様性の世界で、キリスト教徒、イスラム教徒、ブッディスト、日本では神道などなど多種多様な宗教を認めた時代を反映させていて、メリー!というのは内輪でのみの発声になるようだ。そういう時代だからこそ、彼には、そこのところ、時代の変化を認識するかどうかという問題が突きつけられているだろう。
2016年10月2日夜、名匠ネヴィル・マリナー死去。1924年4月15日イングランド、リンカーン出身は、就寝中のやすらかな永眠だったと伝えられている。戦後、ロンドンシンフォニーのエキストラや、フィルハーモニア・オーケストラ・オブ・ロンドンにも加わっていた。1956年、LSO第二Vn首席奏者に就任している。1952年9月のトスカニーニ指揮した、フィルハーモニア管弦楽団によるブラームス・チクルス、メンバー表には彼のクレジットが見られる。
59年11月13日にはアカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズという正式名称の、弦楽アンサンブル演奏団体の第一回演奏会を立ち上げている。
その1968年録音による、チャイコフスキー作曲弦楽セレナードハ長調作品48を聴く。明らかに小編成アンサンブルの演奏で、コントラバスは、2~3?または1挺の音楽で軽量級のチャイコフスキーである。そのために、旋律線メロディーラインは、明瞭なおかつ軽快な仕上がりになっている。だから、第三楽章から第四楽章に移行するところ、よけいな緊張感はなく、すっきり夜が明けたように展開する。フィナーレは、まるでフィガロの結婚序曲の音楽の様相を見せているのは、彼の手腕に依っている。
同年録音による、オトマール・スイトナー指揮したシュターツカペレ・ドレスデンの音楽は通常のオーケストラ編成のように聞こえる。愛情に溢れていて、表情も色濃く、スケール感のある演奏。 そういう行き方を、マリナーは、敢えて選択していない。そこのところ、アプローチの前提が異なるからそのように評価しなければ、これはチャイコフスキーではない!と断言される危険はある。 彼の音楽は、中庸、明瞭、軽快を旨としていると思われる。その生き方、今から30年ほど前だろうか?NHKFM放送で、シュトゥットゥガルト放送交響楽団のライヴ、シベリウス交響曲第一番の演奏が終わり、普通の演奏だったなと思っていた瞬間、なんと、ブウイング!聴衆の中に、アンチマリナーファンがいて、許せなかったようだ。そういう体験は、あれ以来、経験してはいない。
音楽にも愉しみ方は、色々あって、マリナーの生き方は、アンチ大編成オーケストラ、すなわち、アンチ・カラヤン路線である。彼の2000の楽曲におよぶレコーディング、一貫していて、なおかつ多種多様だ。ヴィヴァルディの1970年録音、四季をあらためて聴き直して、そのサイモン・プレストンによる通奏低音との緻密な音楽に、驚いてしまう。アラン・ラヴディの独奏Vnも一層素敵だ。