千曲万来余話その295「ヴィヴァルディ、四季をイ・ソリスティ・ヴェネティで聴く」を掲載。

師走も12日、夕方の日没前、3時39分頃南西の空25度くらいに一番星、宵の明星を目視する。 かなり明るい中に、予想をつけて3分間ほど目をこらしていると、ポツンと白い点が目にはいる。金星をゲットする瞬間で、嬉しい。一時間もすると薄暗い中なので輝きを放つのだけれど、好運にも雲に邪魔されない限り、可能だから空を凝視すると良い。もっとも、このまだ明るい時間にするのは、なかなかできないことではある。
オーディオの人生、よく人はその病に腰が引けるようである。だいたいCDコンパクトディスクか、LPレコードかなどと迷いがない人は、オーディオに縁がない人の話。迷い始めた人は立派な病気が始まっていると云えるのだ。なおかつ、それを乗りこえた人にこそ、天国の入り口は、待ち受けている。いや極楽と云った方がふさわしい。トランジスターか真空管か?と迷いのある人は、幸せである。なぜなら、パラダイスの入り口は、すぐそこに待ち受けてあるから。そこに、力強く歩みを始めると、バラ色の世界は約束されている。お金の問題ではない。幸せをお金で解決できる話ではないのだ。なぜなら、お金持ちに、苦しみはないのだから、苦しむ人ほど幸いであるだろう。お金は、使ってこそ入ってくるとは、よく云ったものである。そこに使う人が居るから音蔵は成り立っている。この現実、オーディオに縁ある人は勇気をもってその扉を、叩く時こそ、運命の音楽は始まるのだ。さようなら、迷い、苦しみよ、孤独ではないのだ、たくさんの人達がいるからこそ、成り立っているオーディオ世界、先へ歩き出そう!喜びよ、来い、来い。おお、友よ!
ヴィヴァルディの四季、というと、何、初心者の音楽か?と、いぶかるご仁もいらっしゃることだろう。あなどることなかれ、ベスト盤は、一枚だけのことではないのだ。星の数ほど存在する。その中の一枚が、エラート原盤のイ・ソリスティ・ヴェネティの演奏、独奏者ピエロ・トーゾで、指揮者クラウディオ・シモーネ。1971年4月29日~5月3日録音。LPジャケットに演奏者全員の氏名表記がある。Vn六名、ヴィオラ=アルト、チェロ三名ずつ、コントラバス、チェンバロ、さらに、リュウト一名ずつである。ヴァイオリン奏者の一人、佐々木一樹の名前、札幌交響楽団の元コンサートマスターで、名誉創立指揮者荒谷正雄愛弟子の一人、クラウディオ・シモーネが来札した折りに抜擢された音楽家である。このレコードは、ドイツプレス、良心的なLPで、録音技師、ピーター・ウィルモースのクレジットもなされている。つまり秀逸なレコードであることは、すでに約束されているといえるのだ。録音、演奏、右に並ぶものは、無いと言えるくらいである。
秋の第二楽章、通奏低音チェンバロと揺らぎないチェロの音の伸びは、優れた演奏の証。
冬の第二楽章、独奏ヴァイオリンの後に、なんとリュウトの演奏が音楽を閉じる。それは滅多にないことなのである。
ベストレコードとは、一枚しかないことではあるけれど、秀逸なレコードには、多数、出会うものであるとは、盤友人の経験することで、それはそれは、愉快でもある。
仕合わせとは、求める人にこそ、与えられるとは、古来、言い習わされているではないか?
12月14日は、満月、多くのオーディオファンは、満たされていることだろう。