千曲万来余話その289「バッハ、Vn協奏曲集をティボール・ヴァルガ独奏レコードで聴く」を掲載。
前回、SPレコードについて発信すると、早速その道の達人からご指摘をいただいた。
ボレロは、DECCA レーベルPOLYDORsriesCA8015/8016 二枚四面ものを所持しているとのこと。12インチ四面で片面の収容時間は、四分余りが適当、10インチなら三分間という言い方が良いかなという。針圧は、HMVのサウンドボックスなら140グラムの重さがかかっている。英国製の蓄音機EMGmark・Ⅹ、ターンテーブルは電動、ガラードのものという表現が誤解を生まないだろうとのことである。ご指摘に感謝する。
盤友人のブログ発信には、あいまいな知識による時もあり誤解を招かない努力が必要であるのでどんどんクリケットレコードへ、ご教示の程を御願いする。ブログウォッチャーは、神様だ。
25日、ワーグナーのプログラム演奏会に足を運んだ。つくづく指揮者とは?との思いが去来した。
演奏会の主役は、管弦楽団員の音楽にある。指揮者が目立ってはいけないという感覚を定期会員に伝える必要があるのではないか?つまり、オーケストラへの指示、キューは、控え目で充分に伝えられるもの。だから、リハーサルのうちに音楽を作っておく必要があるのだろう。90人余り編成。
メロディーラインを浮き彫りにする音量バランス感覚の必要性がある。ヴァルハラ城の表現で、ワーグナーテューバの音楽のうねり、など埋没する危険性があり、そこが指揮者腕の見せ所だ。
テンポの設定では、ヴァイオリン群などは速すぎると響きが薄くなる。そこで適正な感覚が必要とされる。神々の黄昏でようやく、楽団員の響きものってきて、面目を回復していた。
指揮者の経歴キャリヤは充分に立派だから、オーケストラプレーヤーの自発性を最大優先にして脇役に徹するのが、逆に、大指揮者の今までだった。客席から温かい拍手に包まれて、ワーグナーの微笑む顔が思い浮かばれると、盛会だったといえるのだろう。かの特別な日に、ジークフリートの葬送行進曲を聴くことができたことを、よろこびとしよう。
その前日、LPレコード再生鑑賞により、バッハの音楽に感激していた。
室内温度、摂氏17度で湿度は35パーセント、コントラバスなどの音楽性がひしひしと伝わっていた。
ティボール・ヴァルガ1921.1.4ジェール・ハンガリー~2003.9.4シオン・スイス、彼は名教師イェーネ・フバーイに師事、その上に、カール・フレッシュの薫陶を受けている。1939~41年ブタペスト大学で哲学を修得という異色の経歴をもっている。49年からデトモルトで室内管弦楽団を組織していて、64年頃の録音として、オイロパクラシックというドイツマイナーレーベルでLPをリリース。彼は独奏と指揮を兼ねているものでバッハのイ短調とホ長調の二大協奏曲BWV1041と1042は、弦楽合奏と通奏低音を背景に、作曲者特有の精神性がひしひしと伝わる名演奏。
誤解される言葉として、精神性というものがあるけれど、こういう演奏に接すると、文句無く、音楽には宗教性、神々しさが宿り、オーディオの醍醐味は、演奏家に対する尊敬、リスペクトの念がふつふつと湧いてきて、初めて、快哉を覚えるものだろう。バッハの音楽には音量ではなく音圧こそ必要十分条件との思いを強くしたのであった。湿度35パーセントというのは、理想的である。