千曲万来余話その288「ラヴェル、ボレロ作曲者自作自演SPレコードの世界」を掲載。
SPレコード78回転蓄音機再生音を実際に耳にした方は、どれほどいらっしゃるだろうか?
恵庭SP倶楽部は、月例第三日曜日主催する蓄音機による鑑賞会を既に247回実施、一回も欠けることなく連続開催を続けていて二十年間を経過している。内容はインターネット、ホームページ、そのサイトに詳しいから、そちらを参照されること、おススメする。
SPレコード、スタンダード・プレイとは78回転のレコード再生のことであり、多数は片面三分間ほどで記録された音楽を鑑賞することができる。ちなみに、ラヴェル自作自演のボレロは、一枚両面再生で記録されているし、盤友人はクリケットレコードから自演SP盤を購入している。もちろん再生には、専用78回転対応カートリジを必要とする。普通、モノーラルカートリッジは針圧7~9グラムでも再生するが、蓄音機では30グラムぐらいといわれている。
ここで、誤解をといておかなければなるまい。ジージーザーザーという雨を降らせたような雑音の中に、か細く聞こえる音という印象である。月例鑑賞会では、EMG英国製の電動プレーヤーを使用していて、鑑賞者一同、その生々しい記録音楽を愉しんでいる。
11月20日には、エリーザベート・シューマンによるシューベルトの歌曲を鑑賞した。ソプラノ独唱で、1930年代録音の演奏を再生するのだけれど、同時に演奏しているピアニストの音色にも惹きつけられる。カール・オールウインのものはベヒシュタイン、ジェラルド・ムーアのものはスタインウエイ、のようにその違いは鮮明である。楽器の再生する倍音の響き方に違いがあり、クレジットが有るわけではないので、正確な判断かどうか、断定はできないけれど、盤友人にはそのように聞こえるというまでである。だがしかし、グランドピアノという楽器と、女声による音楽を、時空を越えて、生々しく鑑賞することができる当時の空気感が命だ。
SPレコードの世界、それは、録音当時に近い鑑賞であり、作曲者自身のテンポ感覚を実感できるのが最大の利点である。モーリス・ラヴェルの演奏は、その意味で二重に貴重と言えるであろう。 コンセール・ラムルー管弦楽団の演奏。そのひとつ、演奏される音楽には、適正なテンポが設定、意図されているということである。すなわち、演奏可能な最速もあれば、最も遅いという幅はありえるがその中庸なテンポ設定こそ演奏の生命となる。それは、技術の難易を越えて、必要条件であり、演奏する会場など様々な要素をそのせいにしてはならない。ただし、解釈の余地はあるので、極端なものを否定するつもりはないが、一応、理想としていかに説得力をもった音楽になるかという演奏者に対する価値判断は、鑑賞者に委ねられるという世界であろう。つまり、音楽は、鑑賞者の中にも作曲者の判断が伝えられているということである。 レコードは、CDコンパクトディスクで鑑賞することは可能なことではある。けれど、それぞれのソース、たとえば、モノーラル録音は、それ専用のカートリッジ使用をするとか、SPは蓄音機で再生するとか対応してはじめて十全な鑑賞といえる。結論として、音楽は相応しい再生こそ、そこに生命は宿るのであり、CDだけで判断するのは片手落ちであるということだ。
ラヴェルの自作自演は、味わい深い音楽を提供しているし不滅の芸術は何かという問題提起を、我々につきつけている。それは、鑑賞者がいかに努力するかによるということであろう。