千曲万来余話その282「落ち葉の季節に聴くショパン、独奏サンソン・フランソワで・・・」を掲載。

現地時間1963年11月22日、昭和38年11月23日朝、米国ダラスから太平洋を挟みケーブル中継 で映像が送られてきた。青年大統領JFKが暗殺されたパレードの画像、白黒であってもブラウン管に鮮明なものだった。教科書会社屋上から、スナイパーがヒットしたとされたが、詳細は50年以上経過した現在でも、国家最高機密で封印されたまま。当時米国対ソヴィエトのキューバ危機回避など、難問山積した世界情勢の中、希望の星が、白昼狙撃されたという悲劇は、世界を暗澹たる気持ちに陥れたのだった。
フレデリック・ショパン1810~1849は、1839年にピアノソナタ第二番変ロ短調作品35を作曲している。
第一楽章、グラーヴェ荘重に重々しく、ドッピオ・モーヴィメント倍の速度で、
第二楽章、スケルツォ諧謔音楽、
第三楽章、マルシェ・フューネブレ葬送行進曲、レントおそく、1837年に完成、
第四楽章、フィナーレ終曲、プレスト急速で、わずか75小節。
サンソン・フランソワ1924・5・18フランクフルト~1970・10・20パリ、わずか46歳で急逝、アルコール依存症気味だったと、もれ伝えられている。彼はショパンのソナタ2と3番のレコードを残した。千曲万来余話その179で一度取り上げていた。
ソナタ第二番演奏開始早々、異様なテンションの高さに、度胆を抜かされる。この曲のレコード屈指の名演奏である。カラフルな音色で強烈なピアニズム、深い呼吸と、ゆったりと構えたテンポの設定で雄大な音楽が披露されている。悲劇性を帯びた色調で、圧倒的な演奏が記録された。
コロンビアSAXF盤、LPレコードに、録音年月日、場所、使用楽器なと記載されていない。
EMIコンパクト・ディスク10CDボックスのリーフレット、録音データの記載によると1964.年3、5月パリ・サルワグラムとある。・・・この数字は、何かを意味している。録音セッションの設定に、1963年11月の事件が影響を与えてはいないのだろうか?想像の域を出る話ではない。
その当時、世界冷戦構造の中に登場した希望の星、青年大統領が白昼、衆人環視の下で暗殺されたというショッキングな出来事は、このピアニストの深いところで録音決意をさせたのではないだろうか?
一転して、ソナタ第三番ロ短調作品58、枯淡の域に達した音楽、ゆったりと落ち着きある演奏。
1844年作曲、Ⅰアレグロ・マエストーソ快速で荘厳に、Ⅱスケルツォ・モルト・ヴィヴァーチェ充分に快活に、Ⅲラルゴ広く表情豊かに、Ⅳ終曲、プレスト・マ・ノン・タント急速にそして過ぎることなく、という音楽。非常に確乎とした演奏態度で、フランソワは大人の雰囲気を感じさせる。 5月に録音されていても、聴いて秋の気配がするのは不思議。四季ある日本ならではの感覚だ。
アナログソースを再生するとき、録音エンジニア達の意図しないところだろうが盤友人にとってピアニストの心情と、記録させた世界の空気が同時にもたらされるかのようである。