千曲万来余話その279「紅葉の季節、クライバー指揮するブラームスの第四交響曲を聴く」を掲載。
1883年2月13日、ヴェネツィアで作曲家ワーグナーは死去している。その知らせを、ウィーンで聞いたブラームスは、合唱団の指導をしていたが、大家は死んだ、今日、われわれはもう何も歌うことはないと語ったと伝えられている。
当時ブラームス自身ワーグナー派と対立関係にあり、ワーグナーは、彼への痛烈で手厳しい攻撃をやめることはしなかった。ワーグナーは歌劇や楽劇など革新的な音楽を発表していたのに対し、ブラームスは歌劇を一曲も作曲することなく、保守的な態度をかたくなに墨守する作曲家とされていたのだ。
1884年、ウィーン西南、シュタイヤーマルク地方の都市、ミルツシュラークで過ごしていて大作を作曲していた。その夏に第一、第二楽章、翌年の夏には全体は完成された。この完成の頃、ブラームスの部屋が近所からの火事で焼けそうになったことがあった。彼は献身的に消火に協力していて交響曲の原稿に少しも気を向けなかった。10月25日、マイニンゲンで公開初演され、第三楽章を公爵はアンコールさせ、終演後さらに第一と第三楽章を演奏させたと伝えられている。
盤友人には、第二楽章がワーグナー作品へのオマージュ敬意のしるし、コラージュにも聞こえる。
タンホイザー、巡礼の行進に始まり、トリスタンとイゾルデの弦楽合奏でピークを迎えて、さまよえるオランダ人が響き、森のささやきがあって、マイスタージンガーの盛り上がりを想像させる。 「第一楽章がワーグナー派との対立、相克、葛藤を経過して大団円、第三楽章は、人生唐草模様のスケルツォ諧謔音楽、フィナーレは、本領発揮するバロック音楽への回帰表明するかのような確信に満ちた擬古典音楽を構築、ブラームス1833~97畢生の名曲となった。ハンブルグ生まれの北ドイツ人、日本史に目をむけると、坂本龍馬1835~67と期を同じくする。
カルロス・クライバー指揮するLPジャケット、手にするはシルバー仕様のカルロス肖像写真。 彼、最良のレコードの一枚。ウィーン・フィルハーモニー全員がむせび泣いている。
ディジタル録音最初期の記録で、左右のスピーカーから第一と第二ヴァイオリンの対話、高揚感をともなっての演奏が展開される。
1956,57年、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、悲劇性が痛烈である。
1961年9月、カール・シューリヒト指揮、バイエルン放送交響楽団、孤高の名演奏。
1974年、ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー、慈愛に満ちた演奏芸術の記録。
1980年、カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー、指揮者とオーケストラが黄金のコンビネーションとなり、不滅で無類の演奏、LP、CD、両方のソースでリリースされた。
1983年4月、ラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団、ライヴ録音。
これらはヴァイオリン両翼配置の録音であり、第二次大戦後否定されたドイツ音楽演奏スタイル、ヴァイオリンをたたんだ多数の録音が流通する中で、記録された貴重なディスクである。
不思議にもこの音楽は晩秋の季節に似つかわしく、64歳の人生ブラームスを味わうにふさわしい。 渋くて、深くて、奥行きがあって・・・大木正興さん昭和43年の名解説が昨日のごときである。 あれは、カイルベルト指揮バンベルク交響楽団東京公演のことだった。