千曲万来余話その264「リスト、交響詩レ・プレリュードをW・メンゲルベルク指揮で聴く」
ウィレム・メンゲルベルク 1871.3.28~1951.3.22
オランダ、ユトレヒト生まれ、スイス、ツォルトで死去した。
母より6歳からピアノを教えられ、ユトレヒトの音楽院を経てケルンで学び、20歳の時、ルツェルン市立管弦楽団音楽監督就任、わずか24歳、1895年アムステルダム・コンセルトヘボウの音楽監督に就任した。1922年からニューヨーク・フィルハーモニックの常任も兼務した。 ナチスドイツによるオランダ侵攻した際、その演奏活動を理由に、戦後、国外追放の憂き目にあい、演奏禁止解除の直前に隠棲していたスイスで79歳の生涯を閉じた。
1929年6月録音によるアムステルダム・コンセルトヘボウの演奏、リスト作曲、交響詩レ・プレリュードを聴いた。ラマルティーヌの詩的瞑想録の一節で、人生は死への前奏曲であるという詩句を標題とした四つの変奏曲形式になる。1854年頃の作曲。リスト自身は、家系がゲルマン人で、ハンガリー語はあまり話さなかったそうで、後半生は、ほとんどフランス語を使っていたとも云われている。
単一楽章形式で、テーマを統一し、ハープを用いるなど管弦楽法に新しさと豊かな色彩感をそなえている。標題音楽として、交響詩というジャンルを確立した。
メンゲルベルクの演奏は、一時代前のロマンティークなもので、テンポ感は、ギアチェンジが、マニュアル・シフト風で、かなり、緩急の落差が激しく極端である。
第二次大戦後、古色蒼然とした過去の音楽をぬぐいさって、即物的、現代的な感覚に移行してきている。ピエール・ブーレーズの指揮した春の祭典でも、1963年録音と、1969年の音楽とでは違いが歴然としているがごとく、機能主義が優勢で、ロマン風な音楽がことごとく否定されていき、結果、現在のコンサートで聞かれる姿に落ち着いていったのであろう。
1929年の演奏では、ボルタメントという弦楽器独特の演奏スタイルに度胆を抜かされる。後期ロマン派はかくありきの音楽で、現代では、お目にかからない奏法である。音楽が計算され尽くしていて、ここぞというときに、そのように演奏するものだから妙技であり、妙味でもある。
彼の演奏スタイルは、廃れてしまったのであるけれど、レコードで再生することができるのは、仕合わせというものだ。今日もLP盤に針を下ろそうと思う。