千曲万来余話その263「シューベルト、交響曲第五番変ロ長調D485をクレンペラーで聴く」
1816年に作曲して、私的上演を果たしているということは、作曲者18歳の時のことであり、ウィーンのシューベルト、幸せな交響曲として、大変、貴重である。
オットー・クレンペラーは、78歳1963年5月にフィルハーモニア管弦楽団とこの曲を録音している。幸福感に溢れ、恰幅の良い演奏に仕上がっている。アレグロ楽章も決して速すぎずに、しっかりとした拍節感で揺るぎない。強弱の対比も聴き応え有り、力の込め方、抜き方が鮮やか。
弦楽器の音楽で、主旋律と、リズムのきざみ手との区別が明快で、左手側と右手側に整理されている。これは、シューベルトの作曲された意向がそのまま、尊重されているといえる。このことは。決して当然の結果ではないということを指摘しておきたい。
1945年以降、第二次世界大戦終戦を機会として、ドイツ文化の否定、すなわちオーケストラの世界では、ヴァイオリン両翼配置が姿を消したことになる。その伝統を頑なに守ったのが、クレンペラーの録音であった。シューベルト第5交響曲第二楽章アンダンテ・コン・モートや、メヌエット楽章でも、第二ヴァイオリンとアルト=ヴィオラの音楽は重要であり、右側スピーカーから聞こえることは、決定的に貴重である。20世紀主流となった、ヴァイオリン左手側配置の音楽とは截然と音楽の聞こえ方が異なり、聴く立場としては、作曲者意向尊重の配置が望まれる。ニコラウス・アーノンクール指揮ベルリン・フィルハーモニーの最新LPレコード録音もヴァイオリン両翼型にされているのは、最近のオーケストラ界の動向が伝統復活の潮流をあらわしていて、心強い。20世紀型が伝統を否定していたのであるからして、今度は、20世紀型を否定しなければ、歴史は回らないのであろう。新しい21世紀のオーケストラ界は、ヴァイオリン両翼配置待望である。
シューベルトは、18歳当時、すでにゲーテの詩、エルケーニヒ魔王にリート歌曲を始めとして、31歳の生涯に1000曲ほどの作曲を果たしている。
作曲者の作曲した意向は明白であり、交響曲をはじめ。管弦楽曲における楽器配置の選択は、これからの指揮者の選択として、重要な意義を持つことになる。
思考停止、安易な現状の選択は厳しく排除されて、真剣な楽器配置の選択が要請されているといえるのであろう。
1963年、2003年録音のLPレコードが奇しくも同じ楽器配置である事実を強調しておきたい。風格のある演奏は、両者に共通していて70歳代の録音、演奏の至芸、不思議でもある。