千曲万来余話その256「時間をたゆたうマルセル・メイエルのピアノ音楽」

ピアノ、スタインウエイというクレジットが書かれているディスコフィル・フランセのLPレコードは、ずしりと重厚感がある。そのうちのラモーを聴いた。
レコード技師は、アンドレ・シャルラン。 ピアノという楽器の録音は、なかなかむつかしい。とにかく、楽器と、マイクロフォンの距離関係が決め手になる。楽器全体の総合的なサウンドを捉えなければならないから、しかも、高音域から低音域まで周波数レンジは広く、マイクロフォンが拾うのは幅広く張られているピアノ線の全体でなければならない。
メイエルのピアノの音は、まろやかで、ベルベットの肌触りがする。倍音成分が豊富である。低音の音の伸びが、空気感を持っていて、手応え充分である。 オーディオにとって、良い音とは何か?それは、永遠の問いかけであり、答えは一つとは限らない。
その一つとして、スピーカーの音の鳴り方である。 スピーカーから振動感をともなって、空気感があり、音のせり出しがあること。 綺麗な音が、必ずや感動するものともいえないのである。必要条件として、スピーカーから放射する振動感が、感興と結びつくのである。スピーカーの箱、エンクロージャーの感覚が消え去ったとき、演奏家が目の前に出現する。その感覚が良い音の結末である。演奏者と聴き手が対面することにより、音楽が愉悦のひとときをもたらす。 スピーカーの音が、演奏空間の再生、演奏の気配を再生し得たときにこそ、至福の音楽、楽興の時を味わうことになるのである。
音にではなく、音楽のために・・・というのは、けだし、至言である。 マルセル・メイエルのピアノ技術は、極上等であり、なんの外連味もない、誠実な演奏であって、レコード再生の、ご褒美として恵まれる果実ともいえる。 フランス・バロックの粋である、クープランや、ラモーを味わえるのは、王宮の人々のみにあらず、オーディオ追究にして、初めて可能な世界なのであろう。