千曲万来余話その250「グレン・グールドの弾くリスト編曲B氏の運命交響曲」
グールド、母方の祖先は曾祖父のいとこが作曲家エドゥアルト・グリーグに連なるという。 5歳の時からピアノの楽曲を弾き、11歳からアルベルト・ゲレーロというチリ人教師から9年間トロント音楽院で指導を受けている。
グールド、当時のアイドルはアルトゥール・シュナーベルでベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの演奏を聴いて成長したという。 彼にとって、ピアノはある一つの目標をめざすための手段であり、目標とはベートーヴェンに肉薄することだったとグールドは語っているという。 1967年11月から1968年1月にかけて、リスト編曲によるピアノ版、交響曲第五番ハ短調を録音した。
盤友人は、音蔵プリアンプの入力系統ピンジャックすべてに、ショートピンを差し込んで、フォノイコライザーのフォノ1,2にもそれを差し込み、電気的ノイズ、機械的振動対策を施した。 冒頭の四つの連打音、左手の低音が効いている。二つのフェルマータは、四拍くらいの長さで、二つ目の方が1小節分長いというわけでもない。そもそも、フェルマータという指示記号で、同じ音のタイでもって1小節長くするというのはありえないことである。あくまで、B氏は5小節1単位という感覚であるということを指摘しておきたい。
小気味よい第一楽章の演奏、リスト編曲になるピアノの演奏で、交響曲をこのように演奏するのは、一人の天才のなせる技に他ならない。あたかも、自分がピアニストだったら、こう演奏するだろうなというテンポの設定である。天才とは、技術、才能、感性、すべて一体の上に努力という意志、さらには、経験の積み上げがあって成り立っている。凡人は、オーディオの積み上げを成して獲得して共有する境地である。
第二楽章は、余裕を感じさせる演奏に仕上がっているし第三楽章、ベルリオーズは、巨体の象が踊るワルツとまで言わしめた、三連符と二拍子系の整列という面白い音楽を、表現に成功している。 第四楽章は、多重録音か?と思わせるようなピッコロ演奏の効果を挙げている。堂々とした演奏を記録させた。 第一楽章の389小節目、全休止符があるのだけれど、無くても良いような演奏、国内版レコードには、全曲楽譜が附属している。502小節の第一楽章、ベートーヴェンの存命時から存在していたことを意味する。ただし、グールド、オーボエ独奏のカデンツ部分が1小節の表記になっている理由、それは、500小節の音楽完成目的を意味しているのであって、そこのところ問題意識は、スルーしていることを指摘することができる。
501小節の音楽でも、間は提示部と展開部のあいだに存在していて、全部を否定しているわけではない。あの全休止は要らないということを、指摘するまでである。あくまて、502小節の楽譜は、500小節の音楽完成というB氏の意志を表明するためには否定しなければならないと指摘する余地があるということなのである。
グレン・グールドにとって、ベートーヴェンは、リストの、その向こうに微笑んでいる太陽である。