千曲万来余話その246「ラヴェル水のたわむれ、ヴラド・ペルルミュテールで聴く」

歳月人を待たず、とは4世紀頃、中国の詩人、陶淵明の詩に出てくる詩句の一節。 盤友人の千曲万来余話をこれだけ続けられるのは、ブログを開いてくれるみなさまの力による。
札幌音蔵の社長KT氏、御母堂の十三回忌を迎えて、節目の歳に当たる。氏は現在の日本国首相、楽天イーグルス監督らと、同期に当たり、盤友人は、その一年先輩に当たる。 オーディオの深まりは、ひとえに、KT氏の手によるところが大きい。スピーカーはオイロダイン。 大学時代、戸口幸策の音楽史、小泉文夫の音楽学の集中講義を受講していて、決定的にクラシック音楽との出会いがあった。盤友人は、当時、母親との死別を経験していて、43回忌を迎えている。 大学4年で統合失調症、おかげさまで、病識を肯定的に受け入れることにより克服をした感じて毎日を過ごし、社会生活をなしとげている。教育系大学5年間で卒業を果たした。
クリケットレコード店長の、御手をわずらわせて、この千曲万来余話は発表されている。 多分、コンパクトディスクを聴く人々が国内の多数だろうけれど、千曲万来余話は、ほとんどが、LPレコードを聴いたそのインパクトによって、ブログが発信されている。
ニンバス・レコードでラヴェル作品集その1を聴いた。ペルルミュテールは、作曲者の高弟で直接師事している貴重なピアニスト。 盤友人は、高校の音楽教師のてほどきで、ピアノを修得していて、ツェルニーの練習曲30番から40番くらいまでを経験している。一応、ハ(ア)ノンを徹底的に弾いている。 私の先生の師匠は、佐賀県出身、豊増 昇。兄妹弟子に、中田喜直、彼からは、盤友人の先生は特に音楽教育でペーパーテストの無意味を聞かされていたと伺ったことがある。
ズィユー ドゥオウ 水の戯れ、モーリス・ラヴェルのピアノ小品。クープランや、ラモーたちの音楽からおよそ200年を経ての作曲になる。 ペルルミュテールの演奏は、モノーラル時代のワルター・ギーゼキングの録音の上に、ステレオ・アナログ録音の生粋として残されたのは、感激ものである。 SP録音からLP録音の歴史を、両方経験してその凄さが感じられる。
ペルルミュテールの演奏からは、ピアノという楽器の立ち香る音のゆらぎを経験させられる。 この倍音の再生は、かえすがえすも、社長KT氏のおかげで、盤友人は再生することができる。 アナログは、真に、美へのツール道具として、唯一の手段ではないだろうか?