千曲万来余話その237「交響曲第5番ハ短調作品67第1楽章の小節数を考えると・・・」

ありがとう=サンク!ユウ=わたしは、あなたに感謝する!
現在、日本では、過去形にするとき、ありがとうございました!という言い方が通用している。 有り難いことであるということを、ありがたい、ありがとうという具合に変化し経過したと考えるとき、ありがとうございましたという言い方は、誤用なのではあるまいか?ということを考える。
つまり、過去形にすること自体が、誤りなのではないか?ということである。英語で、サンクトゥという具合に過去形に変化させた使用法は、ありえないだろうからだ。
ひるがえって、ベートーヴェンの第5交響曲第1楽章、あの音楽は、5小節がキーポイントということを考えると、389小節目の間は、あってはならないのであって、現在では、それが通用しているということができないかということだ。それは、アレグロ、コン、ブリオ=快速で、勇気を持ってという音楽のテンポ設定によって解明されるだろう。トスカニーニ、カラヤンらが採用するのは、プレスト、急速にふうの最速テンポなので、あの間の急ブレーキが効果的である。
ところが、オットー・クレンペラーやフェレンツ・フリッチャイ、ピエール・ブーレーズらの取っているテンポを聴くとき、緩やかなアレグロであって、あの間の必要性には疑問が湧いてくる。 事実、ニキッシュや、山田耕筰、パウル・クレツキ1965年盤では、389小節目には間がない。
さらに付け加えると、山田の採用している楽譜は、新交響楽団といわれた頃の、NHK交響楽団のアルヒーフには、存在していたことが、想像できる。
501小節の楽譜は、存在しているのであって、どちらを、是とするか?という議論を提案する。 すなわち、ベートーヴェンは、すでに、楽譜に仕掛けをしているのであって、500小節完全音楽の作曲を果たしているであり389小節目の全休止の1小節は、作曲者の偉業を無視することになるというのが、盤友人の見立てである。
現在の502小節楽譜は、500小節音楽の成立に、無縁の間なのであって、その間は、作曲者の意志否定の間になる。だから、500小節作曲という事実は、スルーされているということだ。 指揮者がそれを採用することは、ベートーヴェンの音楽を、味わっていないことになるのだ。 開始の八分休符により、501小節目の音符で、500小節完全音楽が完成する。 この事実を、忘れてはならないから、盤友人は、レコードの存在を指摘して、主張し続ける。 ありがたいことである。