千曲万来余話その229「テンペスト・嵐を読みなさい!」
1802年頃、32歳ベートーヴェンは作品31で三曲のピアノ・ソナタ、第16、17、18番を作曲している。その第17番ニ短調、作品31―2について、シンシトラーの伝記によるとこの音楽の理解の鍵は、シェークスピアの戯曲テンペスト・嵐を読めとB氏は語ったという記述による由来である。
主人公プロスペロウは、人生の終末に自分の魔術は、すべてついえてしまったという無人島にたどりついた独白、ドラマの幕切れで観客に向かって、拍手を求めるセリフがあって、ここでその科白通りに話が進まなかった場合、白けてしまう仕掛けになっている。 だから、盤友人は、作品125、第九交響曲の終末の、コーラスで、フォール・ゴォーットゥ!とクレッシェンドをかけたところで、聴衆から喝采の拍手が起きそうなところ、実際に、通常、演奏ではティンパニーがひとり、ディミニュエンドで音量を小さくするために、そういかない音楽になっている。
あれは、作曲者自身、全員のフォルティッシモを求めている音楽ではなかったのか? B氏のキャラクターから推して、ブレーキをかけるディミュニエンドというのは、あざとい! シェークスピアのドラマからして、ベートーヴェンの音楽は、聴衆を沸かせる仕掛けではなかったのか?という思いがする。
ティンパニーだけ白ける音楽というのは、異質であろう。 第九の音楽自体、聴衆に音楽の途中で拍手を求める仕掛けだという考え方も、テンペストのエピソードからして、有り!だと考えられる。
昭和46年、札幌の大学ピアノ教授のレッスンで、ソナタ・テンペストの第三楽章を初めて聴いたとき、まるで、シューベルトか、シューマンの音楽のような音楽に、驚いた経験がある。 そのとき、ピアノを弾いていたのは、帯広から来た、かなりな色白の美人の女生徒だった。 不思議に、その記憶は、ピアノを弾く女生徒のイメージが鮮烈で、青春の甘酸っぱい思い出・・・ クララ・ハスキルの弾いた1960年フィリップス録音テンペストは、超一級の名演で、1961年EMIステレオ録音のスヴィヤトスラフ・リヒテルの演奏は、破格の男性的、超ど級の名演LP。
彼らの使用していたピアノは、共通して、ベヒシュタインの響きに聞こえる。