千曲万来余話その225「ルッジェーロ・リッチとボールト指揮で、ベートーヴェンを聴く」
5月1日、札幌はようやっと桜が満開という報道。街路を散歩して花を目にすると嬉しくなる。
1952年頃の録音で、デッカ盤、モノーラルになっているエース・オブ・クラブのディスクで、イギリス、ドイツ盤の二種類を聴いた。
1940年代、50年代の主流はモノーラル録音。再生装置では、ステレオカートリッジでも可能なのだけれども、スピーカーから出てくる再生音は、截然とことなる。別世界である。 モノーラル録音を二つのスピーカーで鳴らすというのは、無意味なように考える人もいるだろう。 それは、そのように考えるというだけで、二つのスピーカーで聴いている盤友人は、至福のひとときであることを、申し上げておこう。
管弦楽の場合、コントラバスが6挺型など、音程がびしっと同じピッチに決まっていると、ユレが無い。透明感がある。物理的には、音の塊として響くと、聴いている分には快感である。
ベートーヴェンは、協奏曲ニ長調作品61を1806年12月23日に初演している。 音楽を開始する楽器は、何だと思いますか? それはティンパニーによる四つの打音です。 彼のこの曲の特徴は、徹底的な繰り返しのこだわりにある。 オーケストラで弦楽器が、ツァッ、ツァッ、ツァッ、ツァッと総奏されると、同じエコーのように音楽が続けられる。
モノーラル録音だと、ただ単に繰り返しなのだけれど、エードリアン・ボールト指揮によるニューフィルハーモニア管弦楽団とのステレオ録音では、左右の第一、第二ヴァイオリンの対話になっていることを、気付かされる。要するにB氏の管弦楽法には、左右の感覚が音楽の根底にあるということなだけだ。
モノーラル録音の時、その想像をたくましくするところに、面白味がある。ステレオ録音で聴くとどうなるのかな?という想像、これは、盤友人の愉しみとするところ。
ルッジェーロ・リッチ1918・7・24サンブルーノ生2012・8・6パームスプリングス没 イタリア系アメリカ人、ユーディー・メニューヒン、アイザック・スターンとともに三羽烏といわれていた。10歳でサンフランシスコにてデビューリサイタルを経験している。 フリッツ・クライスラーとも交流があった。
グァルネリウスが愛用の名器。 リッチの録音は、伸びやかな歌いまわし、高度な技巧、安定感ある音楽と三拍子揃っている。 ボールト指揮のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団も大変に余裕のある伴奏を展開している。 ドイツ・プレスを聴いた後、イギリス・プレスはいかにも、響きがつきまとっている。 一聴して魅力的な再生音も、ドイツ盤のがっしりした音も両者、捨てがたい。 お国柄が、イギリスは甘口、ドイツは辛口、と想わされるのも一興である。