千曲万来余話その223「むかし、ヨゼフ・カイルベルトという指揮者がいた!」
小学3年生の頃、理科のテストで星の名前を答えなさいというものがあった。盤友人は木星とか、火星を答えて、一番星というものが思いつき、それでは、二番星はどうなの?三番星は?とか考えた記憶がある。思考がすべって止まらなかった。
ヘルベルト・フォン・カラヤンという名前は、大スターというか、日本では莫大な数のレコードが発売されていて、太陽のような存在、他のルドルフ・ケンペとかヨゼフ・カイルベルトのような星たちスターは見えなくなるみたいな感じがする。
カイルベルトはカラヤンと同じ年1908年4月19日生まれ、1968年7月20日ミュンヘンでワーグナーのトリスタンとイゾルデを指揮、その途中で突然倒れ、急逝している。
昭和43年、当時高校生の盤友人、来日したバンベルグ交響楽団とのブラームス、交響曲第四番をTV放送で視聴して、強い印象を受けていた。その矢先の訃報にひどく、驚いた経験がある。
1961年頃の彼らのレコードに、モーツァルト交響曲第38番プラハがある。 管弦楽の音の古めかしさ、重々しさ、奥行きある深さに驚かされる。それでいて、軽妙さも充分で手応えのある音楽になっている。弦の響きがこんもりとして、馥郁とかおるがごとくである。 聴いて、すぐ気付かされる音に、ティンパニーの抜けてくる音がある。全体で鳴らされると埋もれてしまうその寸前に、立ちのぼるように打ち鳴らされるのは、聴きものといえる。音の立ち上がりが一瞬、先を叩いている。これは名人芸、音楽が前進していって、ワクワクさせられる。 そして、その音質は、皮の質感がする太鼓面をフェルトの感触、ばち(マレット)で叩かれる感覚がして面白い。
カイルベルトの名盤の一枚に、スメタナの交響詩モルダウがある。フルートが二本で交互に一本のメロディーをつむぐ。泉のみなもとを描写して、川の流れが陽光をきらめかせて、トライアングルが鳴らされる。彼が指揮した管弦楽は、そのきらめきが、一際印象的で、その音色は一度耳にしたら焼き付いて、忘れられなくなる。抜群の演奏である。 大型連休の耳休めに素敵なクラシックは、一服の栄養剤となること、受け合いである。