千曲万来余話その221「フルトヴェングラー、ベルリン・フィルを指揮した二種類の田園」
ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886・1・25~1954・11・30バーデンバーデン ベルリン近郊で誕生している。
洗礼名、グスタフ・ハインリヒ・エルネスト・マルティン・ウィルヘルム。 母アーデルハイト、父考古学者アドルフ、ミュンヘン古代博物館で館長歴任。ギリシャやイタリアに詳しく、長男と一緒に旅していたという。
ウィルヘルムは7歳で作曲を経験していた。 音楽理論そして、作曲ならびに、古代ギリシャや、ローマ、ルネッサンスの素養がベースとしてその指揮芸術の原点にある。
1944年3月20、22日アルテ旧・べルリン・フィルハーモニーザール 1954年5月23日、ベルリン・ティタニアパラスト 前者は、新世界レコード、メロディアレーベル、後者はキングインターナショナルリリース。 両者ともベートーヴェンの田園交響曲、自然賛歌、標題音楽の代表である。
絶対音楽、例えば、作品67のハ短調交響曲に対して、田舎に着いたときの愉快な気分という標題を持つ音楽は、どこか、格下という評価を下す評論家もいた。 ベートーヴェンは、抽象音楽のみならず、具象音楽も作曲ということは、二刀流、偉大な志という評価こそ、ふさわしいと盤友人は考えている。耳に聞こえた世界が、田園なのである。
第二次世界大戦の最中、ベルリンで開催された音楽会、モノーラル録音でありながら、迫真の演奏記録で1944年3月というのは、連合軍に空襲を受ける10ヶ月前のこと。 演奏空間の現実感がリアルで、聴衆の咳払いも克明である。記録は、ライヴ録音でテープのつぎはぎなどとは無縁だ。
現代のレコード演奏とは、そこのところが異なり、音楽の質的相違である。 1954年5月、同じく、ベルリン・ティタニアパラストという、残響の乏しい会場録音である。 ここで、フルトヴェングラーのとるテンボ感覚など、田園交響曲の解釈には変わりはない。 果たして二種類の演奏、音楽として同じものであるといえるのか?答えは、否、である。 何が異なるのか?それは、管弦楽の配置であろう。 弦楽器の配置で、ヴァイオリンを畳み現代の基礎となっている配置が1954年盤。 1944年は、コントラバスが指揮者の左手側、ヴァイオリン両翼配置が1944年盤である。 音楽が男性的で、テンポの変更が容易なのは、1944年盤の方。 モノーラル録音でありながら、第二ヴァイオリンの音楽の確固とした音楽は、両翼配置の音楽最大特徴となっている。ただ単に、左と右という感覚のみではなく、根本的な音楽の相違であることに気が付くのが、オーディオ音楽の醍醐味である。
1945年以後の録音は、大事なオーケストラ音楽の悦びを失っていること、はなはだしい。 そして、現在、その音楽が復興している潮流には、必然的理由があるのであろう。