千曲万来余話その210「1937年10月録音トスカニーニ指揮BBC交響楽団、田園を聴く」
1808年12月に初演されているベートーヴェン作曲、運命と田園交響曲。
創立50年アニヴァーサリー、4枚組LPレコードでBBC交響楽団の演奏を聴いた。
エドワード・エルガー、エードリアン・ボールト、フリッツ・ブッシュ、アルトゥール・トスカニーニ、ブルーノ・ワルターら指揮者の名前が見える箱もの。
大変に立派な演奏録音に対して、驚きを覚える。英、独、伊、米の多彩な国籍の布陣で興味深い。
第二次大戦前夜の記録でもある。SP録音の復刻、テープ録音のモノーラルなど、いろいろ。
トスカニーニ指揮のモノなど、米国のNBC交響楽団にあらず英国のBBC交響楽団というところがミソ。メンバー一覧によると、1936年時、首席ホルン奏者の名前にオーブリー・ブレインというビッグネイムが見える。デニスの父親である。ちなみに、デニス・ブレインは、ホルン奏者として三代目だった。
日本で高名な音楽評論家氏、ベートーヴェンに関して、絶対音楽の交響曲第五番に比較して田園はつまらないと述べていた。抽象的である管弦楽で、プログラムを持つ標題音楽は、格下とでもいいたいのだろう。田舎に着いたときの愉快な気分など規定されることに抵抗があるのだろうが盤友人は、その評論家氏、オーケストラの楽器配置に言及しない態度こそ、疑問である。すなわち、小川の情景など自然界の鳥の鳴き声、小川のほとりに立つとき、耳に聞こえるせせらぎなど、その表現に対して楽器配置は、重大な問題である。楽器配置について、作曲家は指定していないなどという思考態度こそ管弦楽音楽をつまらなくしている最大要因であることに、刮目すべきである。
標題プログラムに言及するならば、同じく、理想の楽器配置について思考しなければ片手落ちというものだ。いかにも、ヴァイオリンを束ねる音楽こそ忌避するのが良いであろうと考える。
トスカニーニこそ、モノーラル録音時代、わずかなステレオ録音しか残していないけれど、雄こんな音楽の土台は、コントラバス指揮者左手側配置。低音域チェロ、コントラバスの音塊のうちに、第一ヴァイオリンが配置される形態こそ、ベートーヴェンの音楽に必要なセッティングである。
田園交響楽ステレオ録音として、ラファエル・クーベリック指揮するオーケストル・ドゥ・パリのドイツグラモフォンレコード1975年頃録音は、不滅のディスクである。
トスカニーニ指揮のレコードはモノーラル録音でありながら、各声部が鮮やかでありVn両翼配置を想像されて、実際、健康によいレコードとなっている。素晴らしいモノである。