千曲万来余話その209「ブルックナー交響曲第9番ニ短調、シューリヒト1955年3月録音」
最近購入したライヴ録音LPレコードの実力に、深く感動を覚えた。ウィーン・フィルハーモニーによるブルックナー交響曲選集、1955年3月17日演奏ライヴ録音LPレコードである。
なかでも第9番ニ短調は、傑出した白熱の演奏記録であった。指揮は75歳カール・シューリヒト。
モノーラル録音ということは、管楽器などマイクロフォンから正面に対面して再生される具合で、配置の違和感が発生しない。想像が自由でいろいろな思いを愉しめる趣向がある。
だから、たとえば、フルートとオーボエの掛け合いなど、位置関係を類推することが自由。
同じようにファゴットとクラリネットの配置を類推すると、フルートの背後にファゴットを配置した方が作曲者の意向であろうなどと、想像する。なぜなら、クラリネットが先行する掛け合いは、そのエコーとしてファゴットが応えるとき、左右の対称感のほうが聞こえ方として面白い。
この演奏が、そのようであるというわけではない。多分、1955年という記録からコントラバスが指揮者の右手側配置の可能性が高い。左手側でヴァイオリンを束ねているであろうということが想像されるのである。
だから、舞台両翼に展開する音楽は、想像するしかない。そのほうが、作曲者のイメージなのだ。
2016年2月、ダニエル・バレンボイム指揮するベルリン・シュターツカペレが、ブルックナー交響曲全曲演奏会東京公演が展開されている。
北海道、ローカル新聞の演奏会評を拝読、ひたすら感動したという旨の批評文で、一切楽器配置の記述はないし、その上、一葉の写真は、指揮者を正面から撮る両手を広げたもので、演奏者は、頭のみという情報価値の乏しいモノであった。
現在の東京の音楽界で吹き荒れているヴァイオリン両翼型配置オーケストラ、コントラバス左手側配置の写真が、一切、ネグレクトされているメディア情報媒体の規制は、衆目の一致するところであろう。この事実は、ありがちなことである。オーケストラを目にするスタンダードが、影響を受けるから、規制されているということは、想像にかたくない。
白熱の演奏は、楽器配置によるハードルの高さが一因であることは、容易に想像可能であるのだ。
1945年以後の、ドイツ文化忌避の象徴として、コントラバスが指揮者の左手側配置=Vn両翼型を右手側に配置していったことにつきる。たとえば、ウィルヘルム・フルトヴェングラーは、片手をもがれたごとく、不自由な音楽活動しかゆるされなかった。彼は、1954年11月30日、バーデンバーデンで不幸な最期を迎えて、翌年のウィーン・フィル演奏会でもって、ブルックナー第9番の演奏が、記録された。オーケストラ慟哭の心情が切々と伝わってくる、真実のレコードであり、アナログ録音にしか許されない、説得力豊かなLPレコードである。
東京の聴衆は、すでに体験している音楽、札幌でそのようにできる日は近い・・・とだけ盤友人は発信しておこう。