千曲万来余話その199「ピエール・ブーレーズの指揮した運命交響曲は・・・」
1808年3月27日、ハイドン76歳誕生祝賀会にベートーヴェンは出席している。その頃に、B氏は、テレーゼ・マルファッティ嬢と交際していたという記録がある。
その年の12月22日、5番6番の交響曲が初演された。第6番田園交響曲は、自然賛歌の音楽であるのに対して第5番は、第四楽章で勝利の凱歌になっている。それは、絶対音楽としての上であるが、当時、市民革命の嵐のさなかであったということを忘れてはならないだろう。鼓舞する音楽だ。
1968年録音、ピエール・ブーレーズ指揮したニューフィルハーモニア管弦楽団のレコード、テンポは、当時のオットー・クレンペラー指揮したテンポに近いものがある。同様なテンポは、フェレンツ・フリッチャイ指揮したベルリン・フィル1961年9月録音、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮したヘッセン放送交響楽団フランクフルト1962年頃録音のものなどに共通する。クナのは最も遅いテンポを採用している。
ブーレーズ指揮した演奏で、問題提起になっているのは、第三楽章、オイレンブルグポケット・スコア解説による2小節分の復活である。
ベートーヴェンの作曲によると、5小節一単位の徹底である。268小節目のオーボエ独奏は、1小節だけの記譜であり、5小節分の音楽であることに注意が必要。ということは、1小節たりとも過不足がありえないのであろう。501小節というのは、500小節完全であり、389小節目に全休止がある現行流布している楽譜は、完全性否定ネグレクトの音楽である。だから、最急速のアレグロテンポが現在、多数を占めている。もっとも、遅いアレグロテンポを採用であるとき、無意味な休止であることが、明らかとなる。
第一楽章124提示部、123展開部、合計すると、第二楽章247小節数と一致、同様に、126再現部を合計すると第三楽章373小節数となる。
演奏するときに、リピート記号を採用すると、124+501、247、373+20、86+443=
1794小節というのは西暦年1794年で作品番号1のピアノ三重奏曲草稿初演の年に当たる。
第四楽章にて、ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーン3本、すなわち、5つの楽器を追加しようと決断していた。ブーレーズ盤、ピッコロの演奏は小鳥の囀りのようで、B氏の作曲意図が明らかである。
パウル・クレツキ指揮、南西ドイツ放送交響楽団バーデンバーデン1965年録音は、第一楽章501小節であり、かの389小節に全休止は無い。彼の盟友、指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラー終焉の地、その上に、ピエール・ブーレーズの訃報は、バーデンバーデン発であったというのは、不思議な一致であると言えないこともないのであろう。