千曲万来余話その196「ヘンデル、水上の音楽を故ピエール・ブーレーズの指揮で聴く」
1964年、ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、ピエール・ブーレーズはヘンデル作曲水上の音楽をレコーディングしている。
1974年、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督時代にも同じ曲をレコーディングしていて興味深いものがある。
一聴して気が付くことは、ホルンの聞こえ方の違いである。ニューヨーク・フィルのは左スピーカーに定位
していて、ハーグ・フィルは、明らかに右スピーカーから聞こえる。
昭和40年代、NHK交響楽団のテレヴィ映像では、ステージ指揮者の右手側奥にいつも、首席奏者千葉馨さんの姿があってそれが記憶されている。すなわち、当時の主流は、舞台上手奥にホルンは、配置されていたのである。それが、最近の多数派は、舞台下手奥配置なのである。
ハーグ盤のバンド5、エアという緩徐楽章、よく聴いていると、ヴァイオリンの旋律が、左右のスピーカーで掛け合いをしている様子が聞こえてくる。
ニューヨーク盤では、それが左スピーカーだけで演奏されているという具合。
簡単に言うと、ハーグ盤は古典配置であり、ニューヨーク盤は現代主流の第一、第二Vn、チェロ、アルト、コントラバス、ホルン左手側配置である。
演奏でいうと、ニューヨーク盤は洗練されていて、独奏オーボエなど、ハロルド・ゴンバーグの名演奏が聞かれる。デジタル映像の風景を眺めるかのようだ。
ハーグ盤は、素朴で、ヴァイオリン両翼配置という条件の下、緊張感に溢れたアンサンブルで気迫がある。
ピエール・ブーレーズに見られるだけの現象ではない。現代多数派の楽器配置に、なぜ、収斂されたのか?
楽器配置の決定において、コントラバスを指揮者右手側に置くことにより、ホルンは音量の関係から左手側に配置されて、自然の成り行きである。多分、指揮者がコントラバスに出す指示が右手感覚によるものが多数派の形成に寄与したものと考えられる。
ところが、子細に見てみると、指揮者の左手側からコントラバス、チェロ、アルト、そしてヴァイオリンという具合に配置した場合、弦楽器の開放弦の展開は、左手側、低音から右手方向に高音へとなめらかになる。
チェロとアルトという後列に対して、前列に左右ヴァイオリンを配置したもので両翼配置というネイミングが成立するのである。
左右に高音と低音という対称を求めるか?第一と、第二ヴァイオリンの掛け合いを尊重するのか?それは、演奏芸術において、作曲者が聴き手の一人であるという感覚を持つか、否かにより分かれるのであろう。