千曲万来余話その189「モーツァルトとベートーヴェン、ピアノと管楽器のための五重奏曲」
28歳のモーツァルトは、1784年3月30日ウィーンにてピアノと管楽器のための五重奏KVケッヘル452を作曲している。ピアノを中心として、管楽器オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンによる五重奏曲クインテット。まったく同じ編成によってベートーヴェンも作品16を、27歳という1797年頃ヨーゼフ・シュヴァルツェンベルグ侯爵に献呈している。彼の名前はさしあたり、うっそうと黒い森のしげる山というほどの意味を持つか持たないかは定かではないけれども。さしあたり、黒山侯爵のために作曲したと言えるか?
調性は、変ホ長調。オーボエとファゴットは、ハ長調の楽器、クラリネットは変ロ長調、ホルンは変ホ長調だからそれらを勘案して、M氏、B氏ともに共通して、変ホ長調を選んだものと考えられる。
合奏を楽しむとき、演奏者達には、楽器の配置が最初の課題、ハードルとして存在する。
モノーラル録音では、まったく関係がないのではあるけれど、ステレオ録音では、左右の2チャンネルがあるために、楽器がどのように聞こえるか?は、聴き手として、作曲者も含まれる重要な課題であって、四の五の言うのは、当然のことなのである。もちろんそのことを作曲者は言葉で指定している問題ではない。
盤友人は、以前から、モノーラル録音からステレオ録音への移行に伴って、左右チャンネルの選択は、高音域から低音域へという基準が、多数のステレオ録音を決定していたという指摘をしている。
ステレオ録音というのは、左右という二つだけではなくて、中央という定位フェイズがからんでくる。
だから、ピアノ五重奏曲を考えるとき、ピアノの配置は、中央にあるというのは、多数派を形成する感覚である。それを基準、出発点スタートとして、左右チャンネルに管楽器を配置したい。
それは非音楽的な話などではなく、ハーモニーを形成するときの重要な感覚なのである。単純に音域の高い、低い音という基準で決定されては、つまらないというものである。それこそ、非音楽的決定である。
イングリッド・ヘブラーのピアノ、バンベルグ交響楽団員の合奏による演奏はその意味において、聴いていて溜飲の下がる配置であった。納得がいくものになっている。
基準は、ピアノが中央配置、前列左右にオーボエとクラリネットがある。
ファゴットとホルンを考えたとき、ファゴットが和音ハーモニーの根音という低い音が基本であり、左側に聞こえると、安定感がある。ホルンという楽器は、構造の上から右側に配置されて、ステージ全体に響かせるのは、理に適っていると言えるだろう。だから、オーボエとホルンの二重奏も左右全体に響いて落ち着きがある。コピーライトが1972年であり、71年頃と思われる録音、最近、フィリッブスのLPレコードを鑑賞することができて、心から愉しめたという次第である。