千曲万来余話その188「モーツァルトのジュピターを聴く、ジョージ・セルとエードリアン・ボールト」
交響曲の父は、パパ・ハイドンとしたら、さしずめアマデウス・モーツァルトは、交響曲の母であろうか?
ハイドンは第104番ロンドンを残し、モーツァルトは第41番ジュピター、Kケッヘル551を交響曲の最後に書き上げている。
みなさま明けまして、おめでとうございます。今年も良い音楽とたくさん、出会うことができますよう祈念いたします。盤友人、心機一転、一新して千曲万来余話に励みます。
1788年8月10日付け、ウィーンで32歳のモーツァルトはジュピター交響曲を書き上げている。
ニックネイムの由来は、ギリシァ神話、ゼウスの英語読みで、興行師ヨハン・ペーター・ザロモンによって名付けられたと言われている。
終楽章に、ドーレーファーミーという音型の主題で、フーガを取り入れた音楽に仕上げていて、これが圧巻。
1963年頃、録音されたジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団の演奏は、高潔で、上品、緊張感あふれる音楽である。CBSのもので、不滅のレコードといえる。最高級ランクの演奏に間違いない。
1975年頃、英国、EMIで録音されたエードリアン・ボールト卿指揮するロンドン・フィルハーモニーの演奏は風格溢れる大変立派なジュピターである。
ホール・トーンが豊かで、音楽にゆとりがあり、恰幅の良い音楽とはかくあるべし、という手本となる演奏である。チェロ、アルト、第二Vn、第一Vnという順番で主題演奏が受け渡されるフーガなど聴きもの。
両者の違いはどこにあるのか?
セルの音楽は指揮者の意志貫徹を強く感じさせるのに比して、ボールトの演奏はオーケストラプレーヤーの自発性、合奏の意志を強く感じさせるところにある。ボールト卿の懐は深く、それはそれは興味が尽きない。
セル1897.6.7ブダペスト生まれ~1970.7.30クリーヴランド没、幼時にウィーンへ移住、
16歳でウィーン響を指揮、1924年、ベルリン国立歌劇場クライバーの下で第一指揮者、1939年、ニューヨーク滞在中、NBC交響楽団、メトロポリタン歌劇場、1946年からクリーヴランド管弦楽団、音楽監督就任、そのかたわらで、ウィーンフィル、ベルリンフィル、コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン交響楽団、ニューヨークフィルなど客演、1970年5月、大阪万国博公演の一環として、来日を果たす。
ボールト1889.4.8チェスター生まれ~1983.2.22ロンドン没オックスフォード大学卒業、2年間ライプツィッヒ音楽院に留学、レーガーに作曲、当時ゲバントハウスのアルトゥール・ニキッシュに師事する。30年から50年までBBC交響楽団の音楽監督、50年から57年までロンドンフィルの首席指揮者を務めた。ホルスト惑星の初演、ヴォーン・ウイリアムス第二交響曲ロンドンの改訂版初演指揮など。
不思議なことに、日本での彼の評価はあまり高くない。イギリス・ファンとして、いかがなものかと・・・