千曲万来余話その186「2015年師走に聴く、ケンペとクーベリック」
ルドルフ・ケンペ1910。6.14~1976.5.12の指揮するロイヤル・フィルハーモニー演奏でリムスキー・コルサコフ作曲、交響組曲シエラザードと、ラファエル・クーベリック1914.6.29~1996.8.11の指揮するバイエルン放送交響楽団演奏するモーツァルト、交響曲第36番リンツを続けて聴くことになった。共通して彼らの晩年に活躍した地はミュンヘンである。
千夜一夜で有名なシエラザード、1966年11月録音の音楽は、ソロ・ヴァイオリンをアラン・ラヴデイが屈指の名演奏を披露していて、その終末の最高音は圧巻である。ロイヤル・フィルのバックも素晴らしくて、管楽器のハーモニーも音にユレが無く、名技性ヴィルティオージティーを遺憾なく発揮している。打楽器の音色もきらびやかで、豪華絢爛、音絵巻の饗宴だ。
一方ラファエル・クーベリック指揮するバイエルン放送響によるモーツァルト作曲、交響曲リンツ1980年10月15日ディジタル録音のレコードで、第一ヴァイオリンが左スピーカー、第二Vnが右スピーカーから聞こえてくるのは、痛快この上ない。ポリフォニー複旋律音楽の醍醐味ここに極まれりということだ。
両者に共通しているのは、ヴァイオリン両翼配置の演奏であり、ケンペ録音では、コントラバス右手配置に対して、クーベリック録音は、左手配置である。
笑われるべきは、この種類の録音に対して、原理主義、復古主義の演奏形態だというきめつけである。
ヴァイオリンが左右両方のスピーカーから聞こえてくることを、歓迎こそすれ、そしることは禁物である。
誤解をとく必要があることは、ヴァイオリンが左右から聞こえることに対するこだわりは、非音楽的だという感覚についてである。モノーラル録音時代から、ステレオ録音への移行でもってオーケストラの演奏形態が、第一と第二ヴァイオリンは、並べられる傾向が大勢を決していた。これは、易きに流れるという必然的かつ不幸な傾向であった。
両翼配置というのは、非音楽的な主張などではなく、演奏の緊張感というハードルを高めるボタンのかけ始めである。目的ではなくて、出発点である。だから、ヴァイオリンを束ねた演奏に対しては、さらに、一段と高いハードルが要請されると言える。要求される余地があるのだ。
弦楽器配置の重層構造として、後列チェロ、アルトが配置されて、前列ヴァイオリンという配置は作曲者のイメージであり、言葉で指示されていないから、Vnを並べて済ませる発想は、演奏者優位の判断による。
ステレオ録音の価値について、高音域と低音域の対称性コントラストというのは、初期段階であり、さらに発展させると、第一と第二ヴァイオリンの対称性という展開である。
ケンペと、クーベリックの録音は、そのことを考えさせてくれて大変に貴重であるといえるのだ。
2015年、今年を振り返ってみるに、そのキーワードは、多様性の尊重ということであり、その中で最善の選択が迫られていると言うことであろう。今年のオーディオライフは、基調となるものであり、2016年こそ明るい年になりますように!祈念します。みなさん、良いお年を!!