千曲万来余話その181「フリッチャイ、ベルリン・フィルとの運命ラストレコーディング」
クララ・ハスキルの訃報が伝えられたのは、1960年12月7日のこと。
1961年9月25、26日には、フェレンツ・フリッチャイの指揮ベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第五番が、最終セッション録音になることになったことを誰が知っていただろうか?自身の命日は1963年2月20日。彼のラスト・レコーディングは、1961年11月2、3日ベルリン放送交響楽団とのゾルタン・コダーイ、組曲ハーリ・ヤーノシュ。
オーケストラを指揮するとき、彼は、独裁者ではなく、楽員たちと連帯感、仲間意識を築けてこそ共同作業、共働による創造を成し遂げることができるという具合に述べている。
その最後の果実ともいえる録音は、ベルリン・フィルとのラスト・レコーディング、運命である。
音楽を語るとき、フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラの旋律線メロディーラインの与える印象は、悲愴性パトスというよりも、献身的愛アガペーに満ちた演奏といったほうが、ふさわしい。
確かに、1913年11月録音のニキッシュ指揮とは異なって、389小節目、7分30秒目には、全休止が加えられている。運命第一楽章502小節の演奏になっている。
諸井三郎執筆になる音楽之友社昭和26年版の名曲解説事典では、501小節、同じく諸井三郎の全音楽譜出版社解説では、提示部124、展開部123、再現部127、終結部128小節という具合になっている。どこが異なるのかというと、諸井の示す数字を吟味すると、再現部が、昭和26年版では126小節なのである。
この食い違いは、興味深い。終結部に入る音型、Vnのところでは、再現部は126であるのに対して、管楽器エコーにあたる音型に着目すると、再現部は127小節になるという具合である。
明らかに、諸井三郎の解説自体に、501小節と502小節の楽譜二種類が併存していることになっている。
パウル・クレツキ指揮する南西ドイツ交響楽団の1964年頃録音の演奏は、501であるのに対して後年指揮するチェコ・フィルハーモニーの録音全集では、502小節の演奏と同じ状況である。
盤友人は、1913年SP録音、ニキッシュ指揮するベルリン・フィルの演奏には、6分26秒389小節
目に全休止はないと、指摘しているのである。
あえて、誤解の無いように付け加えるとすれば、ベートーヴェン、第5交響曲には、楽譜が二種類存在していて、どちらが、ベートーヴェンの音楽としてふさわしいかということなのである。
B氏の謎かけは、冒頭4、5小節目の同じ音に対するタイであり、オーボエ独奏になるカデンツァが一小節記譜で、四小節分の音楽の意味である。この二点を考えただけでも、彼の作曲は提示部124小節リピートして、501小節を付け加えて、625小節演奏、ということは、5の四乗、完全な作曲以外の何物にでもないという事実である。502小節626小節演奏の音楽は、非ベートーヴェンの運命であるということだ。
フリッチャイ・フェレンツの音楽から、離れてしまい、悲しいことではあるけれど、501小節625小節演奏の音楽を期待しているのは、盤友人だけなのであろうか?