千曲万来余話その179「ピアニスト、サンソン・フランソワとグレン・グールドとレコード音楽」
音楽のことを、時間の芸術であると聞いたのは盤友人が中学生の時である。理解できていなかった。
今でこそ、音による芸術行為で、作品の創作と鑑賞は、まさに、時間を経験するということで作曲と演奏は、別のものでありながら、行為そのものであり、存在するものではないということなのである。
考えると、美術作品も、創作と鑑賞は、別の営みであって、画家という表現者に対して、我々が鑑賞するということは、一期一会であって、画は楽譜と同じであり、鑑賞行為は時間の上で成り立つから、それは共通するともいえる。見ると聴くは、時間の行為である。演奏者と鑑賞者は、両者が同一の場所で経験する芸術。
記録芸術に生きるという、コンサートドロップ宣言をしたのはカナダ人ピアニスト、グレン・グールド。
23歳1955年にバツハのゴールドべルグ変奏曲録音、50歳1982年10月4日トロントで心臓マヒにより急逝。あの宣言は1964年のことだった。
思い返せば盤友人が6年生の時、小学校でプロコフィエフのピーターと狼やベートーヴェンの交響曲第五番第一楽章の演奏を鑑賞していた。今になって、認識すると、両曲とも作品67である。
北海道大学生によるオーケストラ演奏で指揮は、川越守先生、体育館で聴いた。先生は、今もご健在で活躍していらっしゃる。それは1964年のことであった。
1964年東京オリンピックの前年には、アメリカ青年大統領暗殺されるというショッキングな事件を経験していた。ジョーン・フィッツジェラルド・ケネディ、平和主義者米民主党政治家の死去は、太平洋間有線ケイブル開通初日で日本にニュースとして届けられた。1963年11月22日のこと。
1964年3、5月パリ、サル・ワグラムにて、40歳フランス人ピアニスト、サンソン・フランソワは、ショパン作曲ピアノソナタ第2、第3番を録音した。特に第二番葬送行進曲付きは、鮮烈な感情をたたえた名演である。
レコード音楽を語るとき、音楽鑑賞が目的であるからして、クレジットは不必要という考え方があり、対極として使用楽譜、楽器、録音月日、場所のクレジット明記の考え方がある。
両者、尊重されてしかるべきであり、それぞれ価値を有するが、盤友人は、後者の立場によって立つのは、明らかであり、安易な類推を慎むのは、必要な態度である。
サンソン・フランソワ46歳、1970年10月22日パリにて死去、日本公演のおり、滞在ホテルの部屋には、おびただしい酒の空びんが残されていたというエピソードも伝えられている。名演奏家マルグリット・ロンの教えを受け、第一回ロン=ティボー国際音楽コンクールこそ、彼をして一位で世に送り出すためで、それは1943年のことであった。1956年、1967年、1969年、三度来日を果たしている。
自ら作曲するも、ピアノ協奏曲をレコーディング、非凡な才能を有していた。