千曲万来余話その174「ブラームスと坂本龍馬」
セルゲイ・プロコフィエフ1891.4.23ウクライナ.ソンツォフスカ生まれ~1953.3.5モスクワ没、彼の評伝によると、石の花を最終編曲して脳出血により午後6時頃、死去とされている。彼の人生は、ソヴィエトの時代、政治に翻弄されている。その音楽は、現代音楽というと十二音音階との関わりがあることからして、プロコフィエフの音楽は、モダニズム、近代音楽というのが適当であろう。ペーチャと狼、ピーターと狼は子供のための交響的物語作品67、1936年4月、一週間で作曲し、オーケストレイションに9日間かけている。
指揮者の井上道義さんが話していらっしゃったのは、狼というのは、作曲者にしてみると、当時、ソヴィエト社会体制にとって、自由、ではないか?とのことであった。プロコフィエフ時代の後に、盤友人は生まれた。
音楽史を考えるとき、一般史とのかねあいは、大切だ。
モーツァルトの歌劇フィガロの結婚、時代背景はフランス市民革命である。ベートーヴェンは、市民階級にとっての音楽誕生であるといえる。貴族階級の音楽は、市民階級にまで展開拡張されたというのが本質だろう。
ブラームスは、1833年5月7日生まれで、ウィーンにて1897年4月3日午前八時半、内臓疾患により死去。最期、口にしたのは白葡萄酒だったという。坂本龍馬は、1835年生まれの土佐藩郷士、1867年、大政奉還実現に尽力、中岡慎太郎とともに京都で暗殺されている。龍馬の人生は、江戸時代社会を展開させる原動力となっていた。いわば、体制日本的革命であったといえるのだろう。
ブラームスの交響曲第四番の創作、1883年2月、ワーグナー死去の知らせを受けて、その第二楽章の音楽は、彼に対するオマージュ称賛である。ブラームスの絶対音楽中心手法に対立する、ワーグナーの音楽劇路線を、彼は敬意表明したのである。表面的には対立していても、その革新的な音楽を、決して無視していたのではない。対立していたのみならず、自身の芸術を切磋琢磨する音楽であった。
11月4日、北海道博物館へと足を運んだ。フランス・ブザンソン美術考古博物館所蔵、夷酋列像画展を鑑賞した。
画人、蠣崎波響かきざきはきょう1790年筆になる北海道アイヌ人リーダー達の肖像画。
1780年頃北海道で起きた歴史、クナシリ、メナシの争乱を収束させたリーダーのポートレイト肖像画展である。波響は、松前藩家老にして、円山応挙の画風をつぐ画人。当時、京都にまで伝えられた作品だ。詳細に表現された日本画は、リーダー達の威風を巧みに表現し得ている。蝦夷地、松浦武四郎により命名された北海道の存在がフランスにまで届けられていた。
歴史を正しく認識するということは、クラシック音楽鑑賞を通して身につけられなければならない態度といえよう。