千曲万来余話その170「ジョージ・セル、オーケストラ指揮芸術の極致」
セルは、指揮者としてその道を究めたハンガリー系練達の人として知られている。
LPではピアニストとしてモーツァルトの曲の伴奏も残している。
1897.6.7ブダペスト生まれ~1970.7.30アメリカで没、命日は29日とも。
3歳でウィーン移住、同地で音楽院に学ぶ。16歳にウィーン響を指揮してデビューしている。
1917年以降、ストラスブール市立歌劇場などで指揮者歴任。1924年エーリヒ・クライバーの下でベルリン国立歌劇場第一指揮者に。その後29~37年プラハ・ドイツ歌劇場音楽総監督、37~39年スコティッシュ国立管弦楽団首席指揮者など、39年ニューヨーク滞在中に第二次大戦勃発、そのままアメリカに留まる。そして、NBC交響楽団、メトロポリタン歌劇場でも指揮、46年にはクリーヴランド管弦楽団音楽監督就任。他界するまで同オケの指導に就いていた。ニューヨーク・フィルにもしばしば客演、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団などに、しげく客演、ザルツブルグ音楽祭には、49年以降ほとんど毎年のように出演している。日本には、70年大阪万国博芸術公演の一環として来日。クリーヴランド管弦楽団と5月に大阪、東京、札幌などで演奏会を行った。モーツァルトの40番、ベートーヴェンの英雄、シベリウスの交響曲第2番などのメインプログラム。同行した指揮者はピエール・ブーレーズ。帰国して一ヶ月後、癌のため急逝した。来日中、奈良の長谷寺、室生寺などを訪れている。
盤友人は中学生の頃、ピエール・フルニエをソリストとして、ドボルザークのチェロ協奏曲のレコードに出会っている。ジャケットには、ベルリン・フィルに厳しい独裁者が君臨とか、書いてあった。
ウィーン・フィルとは、ベートーヴェンの劇音楽エグモントを全曲レコーディングしている。あのクラリネット奏者はアルレッド・ヴォスコフスキーであっただろうか?名演奏である。独唱者は、ピラール・ローレンガー。
リヒャルト・シュトラウスの薫陶を得ている。四つの最後の歌、ほかに歌曲集をエリザベート・シュワルツコップ、ベルリン放送交響楽団と残している。ベートーヴェン、シューマン、ブラームスの交響曲全集、ほかにチャイコフスキー、ブルックナー、マーラー、シベリウス他多数のレコードが残されているのは、われわれにとって仕合わせ。
ダヴィッド・オイストラフとブラームスVn協奏曲、エミール・ギレリスとベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を完成している。セルの音楽は完全主義にとどまらず、演奏者達の温かみが記録されていて、それは不思議である。