千曲万来余話その165「オーケストラ配置と不易流行」
不易流行とは松尾芭蕉のいう俳諧の理念。不変と流行は一体であり、本質は新しみを求めて変化していくことにある。姿かたちにとらわれず、変化し続けるとは、本質をたがえないということ。
ひろがえって、オーケストラ音楽の愉しみは、様々である、しかし、本質は一つと言えるだろう。
管弦楽とは、管楽器、弦楽器、打楽器の合奏だ。だから、その配置は、一様であるわけがない。その批判対象は、戦後、両翼配置に向けられていた。
それは、時代により、例えば、フルトヴェングラーは、1945年を境にヴァイオリンを第一と第二に束ねることになった。戦後、ドイツ音楽、ヴァイオリン両翼配置は封印されたといえる。オットー・クレンペラーは、それを頑なに守り、ステレオ録音を残していたのだ。
ピエール・モントゥー、ルドルフ・ケンペ、ラファエル・クーベリック達は、両翼配置のステレオ録音を残している指揮者である。モントゥーのものやケンペなどは、チェロとコントラバスを指揮者右手側に配置しているため、なかなか判別が付きにくい。ドイツ型は、コントラバスが指揮者左手側に配置されるから分かり易い。
戦後の主流は、第一と、第二ヴァイオリンを束ねて、指揮者右手側にヴィオラ=アルト、チェロ、コントラバスを配置したものだ。舞台袖にアルトを出すものも、ウィーン・フィルハーモニーでは主流であった。
それでもバーンスタインなどは、チェロを袖に配置した。アメリカ型。
端的に指摘すると、ステレオ録音初期のコンセプトは、左スピーカーから高音域、右スピーカーから低音域というもの。ヴァイオリン両翼配置のコンセプトは、第一と第二ヴァイオリンの対称をステレオ表現したものといえる。
ところて゛弦楽器はステージ上で下手側、低音から高音へと張られている。フルートも下手側ほど低音が響く。
管楽器にしろ、フルートの後ろにファゴットという配置もあり得る。オーボエの後ろにクラリネットが居た方が、シューべルトの未完成ロ短調交響曲のイメージではないか。
マーラーの交響曲第五番の第五楽章開始、ホルンの音色は、ステージ右手側から差し込む東側の曙光である。
いずれにしろ、現代のオーケストラ配置は、問題が有りすぎるのだ。
くれぐれも、オーケストラを目にした姿は、作曲者のイメージに迫る通過地点に過ぎず、注意が必要ということであろう。不易流行、新しい姿を求めるこそ、本質であり・・・・・温故知新もありだ。