千曲万来余話その164「ハンマー・クラヴィーア、スピーカーの鳴りッぷりに、音楽の綾を聴く」
ハンマー・クラヴィーアというあだ名を持ったピアノソナタ第29番変ロ長調作品106、1817年頃ルドルフ
大公に献呈されている。
ピアノ・フォルテという楽器は、鍵盤によりハンマーで弦を叩いて強弱の表現をすることが可能である。現在のピアノという楽器の原型は、ベートーヴェンが、ハンマー・フリューゲルという楽器からクラヴィーアにと変貌をとげさせたものだ。鍵盤の数は、88鍵という現在に連なる。ベーゼンドルファー・インペリアルになると、最低音が広げられて、白鍵5、黒鍵3の低音がド16.35ヘルツにいたり、これは創業1828年にさかのぼるB社のものによる。
1965年頃録音した、ウィルヘルム・ケンプ演奏によるベートーヴェンの音楽を聴いた。
短い第二楽章に続いて、第三楽章は深遠である。
作曲した当時、47歳の作曲者は、ロンドン在住のトーマス・ブロードウッドの名前の記入された楽器の優れた音質のために、喜びの手紙をしたためている。老獅子の起きあがりにもたとえられているソナタ、楽器を超えた内面世界の表出にまで高められている。第四楽章は巨大なフーガ。楽器の特質をよく表現している。
ケンプの演奏を耳にして、すぐ気の付くことは、かんでふくめるような咀嚼を経た音楽の演奏という印象を与えることである。楽譜の読み込みが、作曲者の祈りにまで高められていて、滋味深い。
鍵盤により、弦を叩いているけれども、メロディーラインは一連なりのフレーズで、きちんと、聴くものに伝えている。このことは、印象的なことであり、演奏は、その人の音楽観を反映していて初めて説得力を持つことになる。
作品111、第32番の最期のピアノソナタ完成に至る4年前のことである。
人は、必ず死ぬのだけれど、すなわち、命は一つであり、限りのあるのが人生というもの。
死を自覚するか、否かは、その人の経験により違いがあるというものだ。
命有る人生を、有り難いと感じるか、感じないかは、その人の感性である。
ハンマー・クラヴィーアという作品で、ケンプ演奏によるLPレコードで聴くことのできる人生を、有り難いことだと感じる盤友人、ベートーヴェンの音楽は、生命力溢れるエヴァー・グリーンの輝きを放つ。