千曲万来余話その162「自由な発想で愉しむ音楽、ハスキルとアンダ」
1956年4月24―26日録音で、モーツァルトの二台のピアノのための協奏曲変ホ長調KV365とバッハのハ長調BWVバッハ作品番号1061の音盤ディスクがある。クララ・ハスキル1895~1960と、ゲーザ・アンダ1921~1976を独奏者に迎えたフィルハーモニア管弦楽団をアルチェオ・ガリエラが指揮している。
右スピーカーから聞こえる音は、潤いがあり、輝かしく音楽に弾みが感じられる。それに比較して左スピーカーから聞こえてくる音楽は、若々しく竹を割ったような感想を持たせる演奏になっている。
実際、ジャケット表記には、第一と第二の独奏者の記載はない。想像の世界に遊ぶ。
盤友人は、以前、無伴奏フルートデュット二重奏曲の楽譜を手にして、第二フルートが最初4小節吹奏してから、第一フルートが追いかけて音楽が始まっていることに、何故だろう、始めに第二フルートがくるのは?、と疑問を持っていたものだった。
ハスキルとアンダのディスクを聴いて、ある仮説が思い浮かんだ。
右側にシートしているのはハスキルで、左側で演奏しているのはアンダである。ハスキルは第二ピアノ、アンダは第一ピアノで、第二ピアノは呼びかけ、第一ピアノは、それに応答する音楽である。すなわち、第一と第二ピアノの意味するところは座席シートポシ゛ションではないか?ということだ。
モーツァルトの協奏曲では、呼びかけとそれに対する応答が明快であり、Y・S・バッハの協奏曲第三楽章フーガでは、第一ピアノが開始の第一フーガを演奏している。
第二楽章アダージォ・オッヴェーロ・ラルゴとは、ゆっくりした速度で、アダージォあるいはラルゴ。その意味するところ二種の言葉どちらでも、というまでのことではないか?どちらか、ではなく、どちらでもということ。
仮説というのは、第一と第二の意味するところは、座席シート、ポジション、位置を表しているのではないか?ということである。第一というのは、ファーストシート、左側の音楽、セカンドシートは右側に位置する。
ステレオ音楽では、このことが、明確に示されているように感じられる。
ある人達など、盤友人が左右のヴァイオリン配置を発言すると、それは原理主義者的だ!と感情的な反応を受けたことがある。第一、第二ヴァイオリン、ヴィオラ=アルト、チェロ、コントラバスの配置が自然な感覚であるのは、その通りなのだけれど、音楽を愉しむ時、第一と第二ヴァイオリンの対話が成立して初めて、作曲者の音楽が実現されるのではないだろうか。自由な発想こそ、音楽の醍醐味に迫ることになる。
しつこいのは、嫌われるよというアドヴァイスをいつも受けるのだが、繰り返し指摘しなければ、つまらない現実に付き合わされるだけで、クラシック音楽の神秘に、なかなか到達できないと言えるではないか?
自由な発想を提案するまでだ。