千曲万来余話その161「「映像に見るNHK交響楽団の変遷」
9月には、名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットを迎えてベートーヴェンのツィクルスを録画している。
10月11日、NHK交響楽団による1983年、シューベルト未完成交響曲の演奏が放映されていた。
楽器配置は、ステージに第一ヴァイオリンから第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスと展開している。
指揮者にとって左手側に高音域、右手側に低音域という考え方による。オーディオのステレオ録音の場合、右スピーカーからコントラバス、左スピーカーからヴァイオリンということになる。
これは、現在の愛好家にとって、ごく自然の感覚だ。オーケストラ愛好家の原点になろうか。
昭和8年、札幌出身の青年画家、三岸好太郎は東京でオーケストラを題材に油彩画を残している。当時、近衛秀麿指揮した新交響楽団によるチェロ協奏曲の図、独奏者は齋藤秀雄であったという。
目を引くのは、コントラバスが画面の左側上に描かれていることである。
あるいは、1950年、演奏するNHK交響楽団、指揮者尾高尚忠の映像では、ヴァイオリンがステージ両袖に広げられていた。
これは何を意味しているのかというと、オーケストラの楽器配置、以前は、ヴァイオリン両翼配置が自然であったということだ。作曲者のイメージ世界、楽器の配置はステージ左手側に低音配置だということによる。
テレビ画面を注意深く見ていると、チェロという楽器、奏者の右手側すなわち画面では左側に低音の弦が張られている。ピアノの左手の打鍵は、低音になることと一致する。画面でフルート奏者がアップされると、奏者の右手側すなわち画面左側にいくほど、低音になる。
だから、ステージ左手側からコントラバス、チェロ、アルト、第二ヴァイオリンというのは、張られている弦が、低音から高音へと向かうことを指摘しておきたい。チェロの前に第一ヴァイオリンが配置されているは、オーケストラのマジックであり、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンの対話は、その醍醐味である。
ブロムシュテットの指揮による1983年と2015年の映像では、その違いを見せつけていて興味深い。
特に彼の発言で、メンバーの世代交代に触れて、音楽的自発性の向上を指摘していた。自分たちの音楽という演奏する上での自発性は、彼らの演奏ぶりに顕著である。B氏の指揮ぶりも力づくであったものが、脱力、繊細、手のひらを広げたその表情は、なにか、ロブロ・フォン・マタチッチの指揮ぶりに通じるものを感じたのは、盤友人だけであったのだろうか?