千曲万来余話その160「「モーツァルト、協奏曲第10番二台のピアノのための・・・」
最近の世代の人にとってレコードというのは、死語になっているのではないか?
恵庭市内で蓄音機レコードコンサート、毎月第三日曜日の午後1時から3時まで、すでに200回を超えて開催されている。レコードと言われて、多数の人にはSPとLPの区別がついていない。
SPは、スタンダード・プレイの略、LPは、ロング・プレイの略語である。そのコンサートは、SPで歌謡曲、ジャズ、クラシックのレコードを電畜EMGマーク・Xテンで聴いている鑑賞会だ。
SPは、78回転といって、一分間に78回転させてシェラック製品のレコードを再生している。
針圧は、30グラムくらいだろうか?とにかく、レコードの溝は消耗している。片面3分間くらい。
LPは、ヴィニール製品レコードを33回転3分の1、3分間に100回転させて再生している。
針圧は、盤友人のカートリッジ、ノイマンのDst62で、約5.9グラム仕様にしている。片面30分間くらいの再生時間である。
現代のコンパクト・ディスク、再生時間はだいたい、80分間くらいである。
レコード音楽の愉しみは、SP、LP、CDによるものだったのが、最近は、mp3、インターネットでPCオーディオの世界に展開を見せている。再生時間は、無限になったのだろうか?
盤友人は、LPレコードでもって、片面30分間ほどの再生、スピーカーの鳴りッぷりを愉しんでいる。
アナログ人間にとって、モーツァルトの音楽世界は、極楽浄土、パラダイス、黄金の輝かしいひと時だ。
KVケッヘル番号365、第10番協奏曲変ホ長調は、二台の独奏ピアノのための協奏曲。
1973年9月録音、ウィーン・フィルハーモニー、カール・ベーム指揮によるものは、ピアノ独奏に父エミール・ギレリス、娘エレーナ・ギレリスを迎えている。
昔、新聞の評論で、ピアノという楽器は誰が弾いても、猫が鍵盤を歩いても変わりはないとかのたもうた御仁がいて、当時、物議をかもしていたという。盤友人がLPレコードを再生して、左スピーカーから父親の、右スピーカーから娘のピアノのタッチを愉しんでいるのとは別世界人間の評論として、可笑しい。大多数の人は、その評論家の説をそうだそうだ、あるいは、そうなのかなあ?と思案されているのではなかろうか。
フィリップス、1977年録音の独奏者、イモージュン・クーパー、アルフレッド・ブレンデル、指揮者ネヴィル・マリナー、セント・マーティン・インザフィールズによる音盤など、左には女性のもの、右からは男性ピアニストのタッチが聞こえてくるから、これはこれで、想像の世界を愉しんでいるという他はない。実に愉快だ!