千曲盤来余話その119「演奏者達の自発性が問われる指揮者の音楽性」

西から東の空に、天の川、その中にはくちょう座が見えている。その尾のところにあるのがデネブという恒星である。天頂近くには、こと座のベガ、その下側にわし座のアルタイルが光っている。ベガが織女星、アルタイルは彦星、この三つが、夏の大三角形と呼ばれているものだ。一年間でロマンあふれる星空、トレミーの48星座のうちの一部だ。
 ライプツィッヒと札幌で、2015年7月10日、11日に、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの交響曲第二番、讃歌が同時に演奏されているそうだ。
 やおら振り上げられた両手が振り下ろされ、全管弦楽団員が、演奏を開始するというアイディアは、ローベルト・シューマンの交響曲第四番、作品120。1840年の第二作目の曲でありながら楽譜出版が遅れたためにその番号を頂いている。
ふっくらした管弦楽の音響は、ロマン派の音楽にふさわしい。
ホルンの配置は、懐かしい舞台上手配置。指揮者は右手を指さして、入りアインザッツを指示するのは、ほほえましい感じすらする。
 コントラバス七人の奏者達の要は、客演首席の池松 宏氏。彼の存在感は圧倒的で、音響的にも七人のユレがなく、束ねられていて、当夜の音楽的根底を形作っていた。
シューマン演奏のアンコールで、チェロ奏者八人を立たせて呼応させていたのは、指揮者の見識であろう。
舞台右手側袖に、ヴィオラ=アルトが十人、楽器の上方向へ音が放射されるのが見えるようである。左手側には、十二人、内側に1プルトで第一ヴァイオリン。12人の第二ヴァイオリン、その奥にティムパニー。二管編成でフルート、オーボエ、後ろにクラリネット、ファゴット、後列にトランペット、トロンボーンの三人が並んでいる。
安定したアンサンブルを披露していた。
合唱は、ソブラノ、アルト、テノール、バスという配置。作曲者のデザインは、女声前列男声後列というものであろう。客席で聴いていると、パートの入り方の意味が、現状の選択は作曲者ネグレクトの配置だと、指揮者達はいつになったら、気が付くのであろうか?これは、固定観念から脱却できるかどうかの、問題だという指摘をしたい。