千曲盤来余話その116「フランス組曲、G・グールド対決 I・ヘブラー」

ヨハン・セバスティアン・バッハには、作品番号BWV816でフランス組曲第五番ト長調がある。優美な旋律、やさしいメロディーライン、親しみやすい音楽、チェンバロという鍵盤楽器のために書かれていて、現代では、ピアノでも弾かれている。
1971~73年にグレン・グールド、1980年にイングリッド・ヘブラー達は全曲を録音している。
音楽は、第一音がすべて、ということで直感的に価値が判断される。
聴けばすぐ分かる、というのは一面、たしかに正しいといえる反面、音楽は聴き始めてから、レコード片面30分ほどじっくり聴いて、深く味わえるというのも、確かである。
グレン・グールドの弾くピアノ演奏は、テンポが奇抜であるばかりでなく、スタッカート、レガートの弾き分け等々、意表をつく演奏であって、面白い。
抜群に、楽譜の読み込みが深いだけでなく、充分に表現が尽くされているということだ。
フレーズを繰り返すときにも、そのときは、表現が異なっている。
特に、彼の場合、録音演奏の際、うなっているし、ハミングしている。
録音技師達には、おかまいなしのこの演奏は、テープのツギハギの拒否のためである。
ピアノの音だけにしぼりたい、彼らをあざ笑うかのようである。
イングリッド・ヘブラーという女流ピアニストは、その点、録音技師達の意向に添っているかのごとく、なにもうならないし、ハミングもしていない。
グールドは、音楽を説明しているわけではなく、演奏していて、伝えているのである。
ヘブラーの音楽が平板であるというのではない。充分に音楽的で素敵だ。
演奏というもの、比較して優劣を付けるのは下品である。低レベルの話だ。
ただ、グールドを聴いていると、フランス組曲の音楽と、彼のデザインがミスマッチという感想を禁じ得ない。
グールドは面白いけれど、ヘブラーのは、満足がいくという違いがある。